斉藤 昌人 Official Blog
23回忌

今日は父の命日。そして23回忌です。

あれから22年...

17回忌時に書いた記事を6年振りに読んで素直に今の自分と向き合って奮い立たせよう!

 

「父との約束」

 

僕が今こうして好きな音楽を続けていられるのは父のおかげだ。
最近父との思い出をあまり振り返らなくなったんでたまには振り返ってみようかなぁ...

1995年の4月、世間は阪神大震災、オウム事件に揺れ動いてる時...
僕が仕事で沖縄に行っている間に入院がちだった父がまたも入院。
いつも1週間ぐらい入院すると元気に帰って来るんでその時はあまり気にしてなかった。
沖縄から帰ってきてすぐレコーディングの仕事をしている合間に家の留守電を確認(当時は携帯がなかった)すると父が危篤と兄から入っていた。
すぐに病院に駆けつけると酸素をし問い掛けにも答えてくれない父の姿が...
涙が止まらなかった。
病院の先生からはあまり永くはないと宣告され、それからの日々、少しでも父のそばに居ようと出来るだけの仕事をキャンセルした。
ちょっと前に父に「お前の仕事は親の死に目に会えない仕事だから、もし僕に何かあってもきちんと仕事を終えてから僕に会いに来なさい」と言われていた。
いくつかの決まっている仕事を出来るだけキャンセルしたがどうしても避けられない仕事が1本だけあった。
春のツアーからの流れの鶴久政治さんのコンサートが5/20府中市民会館であった。
それまでずっと父のそばを離れなかったが5/19にリハーサルが新大久保であり久しぶりの仕事に向かった。
お昼時にスタジオに着くやいなや家の留守電をチェックすると兄から「親父駄目だった...」との一言。その日のリハーサルの内容は記憶に無いがリハーサルを終えてすぐ藤沢の実家に駆けつけた。
一晩中泣きながら父のそばに居た。5/20は通夜だ。
朝方親戚が続々集まる中 僕は一人仕事に向かった。
その日のコンサートの内容はまったく覚えてないがコンサートを終えすぐに藤沢の葬儀場に向かい着いたのが午前12時を回っていた。
気が付いたらステージ衣装のままだった。

21日の葬儀には出席したがその時はこの仕事を辞めようかと思った。
でも僕がミュージシャンになることを誰よりも理解してくれたのは父だった。
この時から僕は絶対に音楽を辞めないと心に誓った。
そして音楽(仕事)と真剣に向き合えるようになった。
最後に父との約束を守れたことで今の自分がきっとあるんだろう...
そして通夜に出席出来なかったことは父からの最後のメッセージだったのかも...
 

ブログ comments(2) -
Comment








ありがとうございます。やっぱりこの日があったから今でも続けられるんだなぁ...って思います。
from. Turbo | 2017/05/20 01:12 |
6年前に読ませて頂いた時も、そして今も感動しました。
悲しいけれど、たぁさんに強い力をくれた素敵なお父様だと思います。
きっと今のたぁさんを見て喜んでますね♪
私は父との良い思い出はあまりありませんが、でも少しだけ楽しかった思い出もあるので時々どうしているのか気になります…。

このブログの6年前の記事に戻ってみたら翌日の記事にお母様の事が書いてあって…ちょっと笑ってしまいました♪お母様も素敵です(*^^*)
from. Kiyomi | 2017/05/19 07:59 |
<< NEW | TOP | OLD>>